寄居七福神イメージ

武州寄居七福神めぐり
昔からお正月が七福神巡りの盛んな季節です。しかしめまぐるしく移り変わりゆく現代では、いつでも、どこでも思う時に参拝が出来、心の癒しを求めたいが願いではないでしょうか?
そんな願いを叶えることの出来るのが寄居七福神です。「七福神と花めぐり」をテーマとしております。春は牡丹、秋は七草、四季折々の花々が心を癒し願いを叶えてくれることでしょう。
寄居七福神の一番の特徴は御神体を露座でお祀りし、その御像の大きいことです。寄居町内五ヶ寺に七福神をお祀りしておりますが、中でも連光寺に安置されている布袋尊は最も大きく地上高約6.5m、幅約5mで大きな体で、大きな笑顔、日本一大きいとも言われております。最小の弁財天でも2m近くです。大きな御尊像に大きな御利益を授かって下さい。通年参拝が出来ます。
五ヶ寺を一巡するとおよそ25kmの行程です。徒歩ですと約7時間の健脚向き、乗用車、タクシー、バス、鉄道をご利用いただくのがが一般的です。各お寺には、駐車場をご用意しております。

七福神由緒

恵比寿神の福徳は神慮のこもる両手に示されています。左手の鯛は“めでたい”海の幸で、その年の家門繁栄、商売繁盛の福運を授ける心を表しています。右手の釣竿は信心する信徒を災いや障りから離れさせ、幸せに“釣りあげる”勢いを意味しています。 当地では、特に正月の「二十日えびす」として信仰され、昔から人々に恵みをもたらしてきた律儀な福の神として崇拝されています。

寿老尊は、短身、長頭で美しいひげをたくわえ、やさしい老人の姿をした長寿を授ける福神です。 大きく開いた右手は人々の災難を除き、清らかな心に導くことを意味しています。巻物には人間の寿命の長短、体力の強弱が記録されています。そばにいる玄鹿は神聖な生き物で、健康、長寿の願いをききいれる福徳を表しています。短身、長頭の体つきはお互いに助け合うことによって長寿に恵まれる福徳を教えています。

弁財天は、『最勝王経』に説かれ、古くは弁才天とも書きました。『新篇武蔵風土記』にも当山弁財天の記録を見ることができます。 天部の仏教守護神として聖天とは特に深い関係にあり、七福神では唯一の女神、琵琶を手にした財福と学問、縁結びの福神として崇められております。当山には八臂の像もあります。

毘沙門天は四天王、また十二天の一神に数えられています。インドでホータン王が毘沙門天に祈って世嗣に恵まれた話や、中国での玄宗皇帝が毘沙門天に祈って外敵を敗走させ、王城の門に毘沙門天を守護神としてまつるようになりました。日本では聖徳太子が四天王寺におまつりしたのが最初で、弘法大師が東寺におまつりしてより多くの寺院に安置されてきました。当山には等身大の古い毘沙門天の青板碑が現存します。

福禄寿は寿老尊と同じともいわれ、南極老人星の化身で「招福(幸福)」、「招禄(財宝)」、「招寿(長寿)」の三つをつかさどる福神です。

布袋尊は中国唐末(9〜10世紀)の高僧で名を契此といい、弥勒菩薩の化身として衆生をお救いくださいます。身体は大きく腹を出し、常に大きな布袋を携え、市中を歩いては人の運命や天候、吉凶を予知するなど、不思議な力をそなえています。豪快な笑顔、福々しいお姿は些細なことにこだわらず「子孫長久」、「家庭円満」をもたらす神様として知られているところです。この布袋尊は武州寄居七福神の中でも最大で高さ6.5m、幅5m のご神体です。

大黒天の福徳は右手の小槌、背中の大きな袋、そして足元の俵に示されています。 小槌は“うちでの小槌”といい、振れば振るだけ財宝を施し、背中の大きな袋は無尽の智慧を内蔵して学業上達、出世成功に導き、足元の俵は食事に不自由のないように農作物、野菜の豊作を表しています。 大黒天は台所の守り神として女性の尊敬を集め、古来より恵比寿神と並んで生活の知恵を授ける裕福の神として知られています。縁日は六十日毎の甲子の日です。

武州寄居七福神 案内図

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武州寄居七福神 御朱印・色紙

寄居町観光協会 円良田湖事務所外観

武州寄居七福神の御朱印は各寺にて200円で承ります。また色紙は1,000円で購入することが可能です。

※参拝時に各寺が留守の場合に、御朱印を承ることが出来ない場合がございます。

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